加藤九祚・国立民族学博物館名誉教授・NPOユーラシアンクラブ名誉会長逝く

On 2016/12/31 by 遼大野

2016年9月12日、私たちが人生の師と慕う、九さん、加藤九祚先生が亡くなった。%e5%8a%a0%e8%97%a4%e5%85%88%e7%94%9f%e6%9c%80%e5%be%8c%e3%81%ae%e5%86%99%e7%9c%9f

25年にわたり、中央アジアの仏教遺跡や大月氏の遺跡調査を、最後の本貫と心得て、地元に溶け込み、人々に慕われ、多くの人や研究者を中央アジアに呼び込んで、アフガニスタン北部のギリシャ都市アイハヌムを東西交流の表象と受け止め、毎年一回、10年に渡り、シルクロード研究上希少な論文を紹介する雑誌「アイハヌム」を刊行、シルクロード研究の絆となった偉大なる文化の仲介者であった。

加藤先生の真の功績は、シルクロードだけでなく、中央アジアもその一部であった旧ソ連、シベリア、アルタイ、ロシア・極東地域、等を含めたユーラシアと日本をつないだ先駆者であったことに尽きる。「シベリア留学」と、抑留体験を起死回生の前向き思考で、戦後の冷戦下で「シベリアの歴史」を初め膨大な著書を観光し続け、「つなぐ人」であり続けた。私は50年前、川越駅前の書店でこの本を読み、面白い人がいるなと思ったことがあり、10年後たまたま勤務していた大阪で、国立民族学博物館に教授として加藤先生が赴任したことを知って駆け付けて以来、40年のお付き合いになった。A.P.オクラドニコフの墓参に同行し、アカデムゴロドクに6年通い、その間に北方ユーラシア学会を創設し、「アルタイ・シベリア歴史文明展」を開催、1991年4月には来日したゴルバチョフ大統領(当時)と日本政府の間で、「パジリク王墓発掘」を日ソ交換覚書とし、夏100人近い研究者をアルタイ山脈に派遣し共同発掘が実現できた。発掘の最中にゴルバチョフ大統領が拉致され、ソ連は崩壊となり、新しい時代に移行した。加藤先生がシベリア・アルタイから中央アジアに南下したきっかけとなった。1990年に体験したアファナシェヴォ文化の古墳発掘が、文献を渉猟してきた民族学者から考古学者へ転換することにつながった。「北東アジア民族学史の研究―江戸時代の日本人の観察を中心として」で学術博士を取得しているように、“シベリア留学”を原点としたたくさんの著作で知られている。「シベリアの歴史」(1963、紀伊国屋書店)、「シベリアに憑かれた人々」(1974、岩波新書)、「天の蛇―ニコライ・ネフスキーの生涯」(1976、河出書房新社)、「シベリア記」(1980、潮出版社)、「日本人の心のシベリア」(ロシア語、1992、ノボシビルスク刊)、「日本のシャーマニズムとその周辺」(1984、共著、日本放送出版協会)、「極地に消えた人々」(パセツキー著)翻訳、「極北の人たち」(シムチェンコ著)翻訳、「シベリアの古代文化」(オクラドニコフ著)翻訳、「デルスウザーラ」(アルセニエフ著)翻訳、「カムチャッカからアメリカへの旅」(ステラ―著)翻訳などのように、シベリア・北東アジアをテーマにした著作、翻訳が多数知られている。ペレストロイカの潮流も加藤先生を後押しした。

加藤先生は、アルタイ山脈調査以来、ソグド、月氏、クシャン朝の動向を先駆的にフォローしてきたが、それ以前から、「黄金のトナカイ」(A.P.オクラドニコフ著)「スキタイの芸術」(ルデンコ著)などスキタイ文化を紹介したり、「湖底に消えた都」(ジューコフ著)翻訳、「黄河源流からロプ湖へ」(プルジョワルスキー著)翻訳、トルクメニスタンメルヴの仏教遺跡の紹介、アフガニスタンのシバルガン王墓発掘記「シルクロードの黄金遺法」(サリアニディー著)翻訳、「草原の国モンゴル」(マイダル著)、「埋もれたシルクロード」(マッソン著)等一連のシルクロードにかかわり深い著作を日本に紹介してきた。アルタイ山脈から中央アジアでも、加藤先生が亡くなったテルメズ市のあるウズベキスタンだけでなく、モンゴル、キルギス、カザフ、トルクメニスタン、タジキスタン、アフガニスタンと中央アジア全域をカバーしている。

加藤先生の薫陶を受けた私(大野遼)は、26年前、北方ユーラシア学会から、生きている諸民族の理解親睦協力と、民族の共生、自然との共生、特に少数民族にウェートを置いた活動を目指し、ユーラシアンクラブを創設し、日本列島のアイヌを初め日本人と深い交流のあったロシア極東地域の先住少数民族との交流を目指し、特にアムール川の先住民ナナイのシカチアリャン村との交流を続けてきた。その結果2015年~2016年にかけて国立民族学博物館、新潟県立歴史博物館、横浜ユーラシア文化館で開催したのが「岩に刻まれた古代美術 アムール河の少数民族の聖地シカチ・アリャン」展であった。この実行委員長であったのが加藤九祚先生であった。シカチ・アリャン村の岩絵を調査したのがA.P.オクラドニコフ。その著作「シベリアの古代文化」を紹介したのが加藤九祚と考古学者加藤晋平であった。そしてシカチアリャン村の13000年前の土器を発掘し、日本列島の縄文時代の形成に脚光を集めたのがオクラドニコフの直弟子A.P.デレビャンコ氏(現ロシア科学アカデミー正会員)であった。シカチアリャン村は、加藤先生とシベリアとの深いかかわりが表象されている場所である。私は、この村に、加藤九祚・A.P.オクラドニコフ記念環日本海交流センターを設置するように呼び掛けている。

私は今後、加藤先生を慕う多くの先輩と協力して、加藤先生がなくなったウズベキスタン・テルメズ氏だけでなく、キルギス共和国、ロシア連邦アカデムゴロドク(あるいはアルタイ山脈)、シカチアリャン村にも加藤九祚顕彰碑を建立したいという希望を持っている。

私は、2017年7月23日から8月1日まで、今年で8年目となるサハ共和国の青少年太鼓集団テティムと交流するため、私が住む愛川町にある愛川高校和太鼓部や卒業生の和太鼓ユニット打縁の若者、ネパールの横笛バンスリ奏者パンチャラマや篠笛・津軽三味線奏者木村俊介ら27人をロシアに派遣しその際に、ハバロフスクとシカチアリャンでもコンサートを開催する計画を持っている。これも、加藤先生を偲ぶ活動としたいと考えている。

以下に、ニュースレター177号を掲載する。%e3%83%8b%e3%83%a5%e3%83%bc%e3%82%b9%e3%83%ac%e3%82%bf%e3%83%bc177%e5%8f%b7%e6%9c%80%e7%b5%82

Comments are closed.